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2006年01月09日

パンク侍、斬られて候  町田康

胃痛があって、休日だというのに丸潰れ。僕は機嫌を悪くしてこの本を手に取り読破してやった。

漢字が難しくって読めないところは多々あったけど、その辺は飛ばして読めば問題なし。
町田文学研究者は全部読まないといけないかもしれないけど、僕はただの読者なので細かいところは気にしなくていいもん。

初の時代小説とか書かれてるけど、あんまり関係ないと思う。
人間というものをスコーンと見据えて、思い切りのいいデタラメなストーリーとサイケデリックな表現が理解できれば、この小説は時代云々抜きで面白い。

思うに、町田さんってあんまり働いたことないから、仕事絡みの話って投げやりに書いてた印象があったんだけど、侍って設定は彼の中で見慣れた風景(テレビで)なので、すごく書き込んである。
面倒くささ加減とかがね。
仕事してる人間ってほとんどそう思って責任を塗りつけあってるから、すんなり入り込めた。
「なんでこんなことをしたんだ?」ってきく人がいるけど、決まってんじゃん。面倒臭かったからだよ!
それに、笑いもたっぷり。リズムにのって文章を読まないと見落とすかも。

もちろんそれだけじゃなくって人間存在についての深い洞察や、感慨も散りばめられてるから、これ、すごい本なんじゃないの?って思った。

終盤のサイケデリックさやシュールさもすげぇ迫力。

くっすん大黒  町田康

面白い。町田康の本が面白いとは聴いていたがとても面白い。
書生風(?)の文体がどこかノスタルジックな、生産性のない生活を続ける男の話である。
ともかく働かないのだ。
では何をしているのかというと、天井を見ていたり、置物を捨てに行って怪しまれたり、である。
そこに降りかかる無秩序な出来事達。
男はその中で自分の感覚に対してひたすらに正直さを貫く。
例え何が起きようと、金がなかろうと、働くのはイヤ。でもメシは食いたい。
こういった底辺の本能に対して正直に。
読みながら、爆笑しながら、僕は段々と「どうでもいいやモード」に突入する。

著者が文壇でどういう位置付けなのかは知らない。
僕は芸術というものは、観たり聴いたり読んだりしたときに感じるものが全てだと思っている。
また、それ以外では語られるべきものではないとも思う。
それ以外の要因がどうしても必要なら、それは僕にとって芸術ではない。
知識のお披露目である。
だから、僕を爆笑させてくれて、精神状態まで変容させてくれたこの本は素晴らしい。

きれぎれ  町田康

●畳の描写におけるリアリティとサイケデリック感覚が同次元に存在するようなリアルな非現実感覚。
●ドロドロです。気持ちいいくらい。でも文体からは乾いた感じ。
●絶叫しながら、苦悶しながら、スコーンと超越したような雰囲気。
●言葉遊びと関西弁と江戸弁と昔言葉の同居がちっともおかしくないことが不思議な本。
以上の4点をもって圧倒的迫力と美しさが描かれている。多くは言うまい。
芥川賞受賞の名に恥じない素晴らしい本です。

へらへらぼっちゃん  町田康

これはエッセイ集。ってことですけど。なんですか?これは?
いや、読書感想から、映画感想からなんでもありですね。
エッセイ本体も素晴らしい芸術観、酒に酔ってしくじる話、映画に出演した話とやっぱりなんでもあり。
実に愉快に著者の日常(ダレダレ、でもいい感じ)や、頭の中が覗けます。
注)爆笑率は「耳そぎ饅頭」の方が高いです。

壊色  町田康

す、すごい、素晴らしい。町田文学の原点と言われてるだけはあってものすごい迫力である。
短編小説、日記風エッセイ、詩、唱歌解釈で構成されているが、特に印象に残るのは小説と唱歌解釈。

小説にはウェットな気持ちなど入り込む余地がないほどに殺気がこもっており、恐怖すら感じた。
例えば「殺す」という言葉、手紙、メール、何でもよいが、あなたは「殺す」という言葉を書くと嫌な気持ちにならないだろうか? いくら怒っている時でも「殺す」という言葉の意味を考えて、自分でもぞっとして他の言葉に変更したりしないだろうか?僕はする。
しかし、町田康はそこを、その意味するところの強烈さを知りながら、軽々と「殺す」と書いてのけるのである。その瞬間の恐ろしく、潔いこと。あらゆる分析、解釈を拒絶してしまう。文章、それ以上でもそれ以下でもないと主張しているように思えるのだ。

唱歌解釈の方は、実に楽しい。パソコンで物を書く時の変換間違いのような唱歌。それが独自の意味を持つ。
つまり言葉遊びであるが、ここまで思い切りよくやられてしまうと痛快で、また、いかに今まで規制の文章が自由でなかったかを知らされてしまう。メチャクチャに自由。

明らかにこれは文章におけるパンクの実践である。